2012年6月5日火曜日

銀の森のゴブリン: 文化・芸術


  昔まだパソコンではなくワープロを使っていた頃(ほんの3、4年ほど前までワープロを使っていたのです)のフロッピーを整理していたら、懐かしい原稿が出てきました。ある事情があって書いていたものですが、捨てるのには惜しい。そこで映画を観なかった日の埋め草にすることを思いつき、パソコンに取り込みました。
 イギリス小説の単なる紹介記事で、大した内容ではありません。ただ最近でも「オリバー・ツイスト」や「プライドと偏見」などイギリス小説の映画化は連綿と続いていますので、何かの参考にはなるでしょう。毎週1作を取り上げていたので、当時は非常につらかった。単行本を1週間で1冊読み上げ(もちろん翻訳です)、おまけに紹介文まで書いていたのだから当然ですが。幅広い人に読んでいただけたら当時の苦労も報われます。

【ヴィクトリア時代】
・ヴィクトリア時代(1837-1901)
  ヴィクトリア女王はわずか18歳で即位。英国史上最も輝かしい栄光の時代。

ヴィクトリア時代とは、いうまでもなくヴィクトリア女王が在位した時代のことで、1837年から1901年までの65年間を指す。ヴィクトリア初期(1837-50)、ヴィクトリア中期(1850-70年代)、ヴィクトリア後期(1870年代ー1901)の三期に分けて考えるのが一般的である。
 19世紀のイギリス史は、1870年代を境に大きく二分して考えることができる。1870年代以前は、世界に先駆けて産業革命をなしとげた工業国イギリスが世界の霸者となる躍進期であり、1870年代以降は、いわゆる「帝国主義」の時代で、それ以前が躍進期であるのなら、この時期は、イギリスの今日にまでいたる後退期の始まりであった。
 従来の通説は、産業革命の進展とそれにもとづくブルジョワ階級の発展を歴史叙述の機軸としていたが、その場合ややもすれば、ブルジョワ階級の経済力の増大をそのままかれらの政治支配権の増大と同一視する傾向があった。しかしながら、このさい、われわれもまたはっきり留意しておかなければならないのは、第一次選挙法改正と穀物法撤廃という画期的事件のあとに到来した1850-70年代のヴィクトリア中期においてさえも、上下両院をはじめとする全イギリスの政治機構は、なお地主階級によってほぼ完全に掌握されていたという事実であって・・・政治的な支配体制という見地からすれば、1870年代までイギリスは地主階級による貴族政の国家だった・・・。

 1832年の選挙法改正と1846年の穀物法廃止の最たる史的意義が、それぞれブルジョア階級への参政権付与と自由貿易の実質的な確立にあることはすでに周知のところである。
 一方労働者階級の運動についてみれば、まず19世紀の前半はまさしくイギリス労働者階級の英雄時代であった。ラダイト運動、オーエン主義、労働組合主義、政治的チャーティズムと様々な運動が起こったが、伝統的な地主・貴族階級がブルジョワ階級と手を結んだとき、これと対抗するのには結局のところあまりにも非力であった。したがって、ピータールー事件に始まり、第一次選挙法改正の運動、全国労働組合大連合をへて新救貧法反対闘争からチャーティズムへといたる敗北の歴史は、労働運動の歴史は、これを遺憾なく物語っているといえる。
   参考文献:村岡健次『ヴィクトリア時代の政治と社会』(ミネルヴァ書房:1980年)

2012年6月3日日曜日

Diary (2004年後半)


不定期日記

週に一回は更新したいと思ってます。。。


12月26日

アリゾナから戻って参りました。ツーソン、フラッグスタッフ、そしてセドナを訪れ、途中、従姉妹家族にお世話になりながら、素晴らしい旅をしてきました。詳細は、妻の旅日記をご覧下さい。

アリゾナから戻ってきて一番初めにやったこと、それは今学期の成績チェック。ネット上で成績がチェックできるので、非常に便利だ。結局、総合GPAは3.47でフィニッシュ。最初の学期としてはまずまずの滑り出しといったところだろう。この調子で次の学期も頑張っていこう。

週末はクリスマスだったが、旅行から帰ってきたばかりだったので、クリスマスケーキを食べただけだった。アメリカではクリスマスにケーキを食べる習慣は無いので、日系スーパーに行ってブッシュ・ド・ノエルを買ってきた。久々のケーキは、ささやかながらうまかった。


12月11日

今週は、経済学のペーパーの提出だった。一人でペーパーを書いたことがほとんどなかったので随分苦労したが、いい勉強になった。マーケティングや会計学のグループペーパーもあったのだが、他のメンバーにかなり助けてもらった。また、会計学の期末試験もあったが、春に受講した会計学のお陰でいい点が取れそうだ。来週が山だが、統計学と経済学の期末試験と、マーケティングのプレゼンテーションだけなので、それほど大変ではないだろう。

いよいよ、来週で私のMBA初学期が終了する。本当に、あっという間の3ヶ月半だった。色んなことが怒涛のように過ぎ去ってしまったので、冬休みに色々振り返ってみたいと思う。もちろん、思いっきりリフレッシュもするけど。

というわけで、来週はアリゾナに旅行に行ってきます。世界最大のサボテンと隕石孔を堪能してこようと思ってます。来週の不定期日記はお休みさせて頂き、後日、旅日記の方でアリゾナ旅行についてご報告させて頂きます。


12月4日

前のPCが壊れてから数ヶ月が経つ。新しいPCは調子が良いが、新たな問題が発生していた。このPCにはOffice 2003がプレインストールされていると私は思っていたのだが、入っていたのはお試し版。試用期間を過ぎると制限モードで立ち上がるのだった。元々、Office 2003 Professionalを持っていたので、それを使えばなんとかなると思っていたが、ライセンスの移動はMicrosoftに電話でその旨を伝える必要があるらしい。電話の苦手な私は、何も行動を起こさないまま、今まで来てしまった。でも、Finalが近づき、いよいよ忙しくなってきたので、腹を決めてMicrosoftに電話することにした。

まず、「Office 2003 Professionalを入れていたPCが壊れ、新しいPCを買ったので、プロダクトキー(認証番号みたいなもの)を新しいPCで有効にして欲しい」と説明したが、オペレーターは理解できなかったようだ。とりあえず、テクニカルサポートにつないでくれたが、状況は変わらず、私もオペレーターの言ってることが理解できないまま、会話終了。

らちが開かないので、作戦を変えて再度電話をしてみた。今度は、「壊れてしまった前のPCに入れていたOfficeを新しいPCに入れたいので、新しいプロダクトキーを下さい」と言ってみたら、すんなりOKが出た。なぜか、OfficeのCDに何が印刷されているか言わされたが。恐らく、私が本当にユーザーかどうか確かめていたのだろうが、「違法コピーはしてはいけません」とかしゃべるのはちょっとバカらしかった。

電話を切ってメールをチェックすると、すでに新しいプロダクトキーが届いていた。30分ぐらい電話でやりとりしたのに、メールは5秒だな、とか少し複雑な気分になりながら、インストール作業を済ませた。会話が通じて良かったよ。


11月27日

私が取ってるMBAのクラスでは、私を含め、3人の日本人が学んでいて、お互い助け合っている。私は助けてもらっていることの方が多いが、、、この3人にある共通点があることが、最近になって分かった。なんと、3人の血液型はともにAB型なのである!日本人に占めるAB型の割合は約10%と言われているが、私のクラスでは100%である!日本人の中から無作為に3人を選び、3人ともAB型である確率は、千分の一である。統計学上、これは偶然というより、AB型が集まるような傾向があると考える方が理に適っている。ていうか、ただの偶然だと思うけど、、、

AB型と言うと、たいがいの人は「げー、AB型?」みたいなリアクションを取る。変人で、何を考えているかわからない、と思われているらしい。天才肌だと言われる事もあるが、大抵、皮肉っぽく言われる。

大体、血液型占いに科学的根拠は無いというのが定説だ。でも、妙に信憑性がある。発掘!あるある大辞典IIで、幼稚園児を血液型でグループ分けし、彼らがどんな行動を取るのか実験をしていた。血液型に先入観が無い幼稚園児なのに、一般的に言われている傾向がはっきりと表れていた。しかも、血液型が性格や思考パターンに影響を及ぼすという学説もあるらしい。

ということで、AB型が忌み嫌われるのは不自然ではないようだ。人と異なる思考を持っているからこそ、わざわざ日本を飛び出したのかもしれない。そう考えると、クラスの日本人全員がAB型であるのも納得できる。ていうか、ただの偶然だと思うけど、、、


11月21日

先週はペーパーやテストがあったので、いくつか結果が返ってきた。会計学の中間試験はテスト自体が難しくなかったのでAを取る事が出来たし、統計学のペーパーもB+とまずまずの成績だった。そして、気になるOrganizational Behaviorの最終成績は、、、C+。まあ、期末試験でDを取ってるのでC+は上出来かな。2単位の教科だし、他でいくらでも挽回できるだろう、、、たぶん。

このホームページ作成のきっかけとなった人物に会う事が出来た。半年程前、その女性があるHPの掲示板でALIについて質問をしていたので、それについて答えたのだった。ALIに恩義を感じている私は、少しでもお礼がしたくてその質問に答えたのだが、言いたい事がたくさんありすぎて、掲示板やメールでのやりとりだけでは限界があった。そこで、自分のHPを作り、ALIの事を広く知ってもらおうと考えたのである。彼女は現在ALIの生徒で、今でもメールのやり取りをさせて頂いており、是非一度会って話がしたいと思っていた。

2012年6月1日金曜日

Asahi.com(朝日新聞社):「1単位45時間」の意味は 中教審部会で見直し議論進む - 山上浩二郎の大学取れたて便 - 大学


 大学教育の質保証や質向上という言葉が、日本の大学改革を語る場合に簡単に使われているが、ことはそう単純ではない。大学には、学校教育法に基づき大学として必要な最低の基準を定めた文部科学省令の「大学設置基準」が設けられている。このなかで、大学の制度としての枠組みをつくり、教育研究の内容にあたる授業計画やカリキュラムを一定水準に維持するためさまざまな仕掛けが施されているのだが、その内容を再検討する議論が進んでいる。いまの大学教育の姿を変えることにつながるかもしれない。

●日米で大きな差 大学生の学習時間

 10月28日に開かれた中央教育審議会・大学教育部会は、設置基準で規定されている単位や授業時間、カリキュラム編成の方向性について議論した。

 前提として、日本の学生はどの程度勉強しているのだろうか。金子元久委員(国立大学財務・経営センター教授)が部会に資料として提出した、日本の大学生の学習時間が参考になる。

 日本の学生の学習時間は1日当たり4.6時間で、大学設置基準の想定している学習量8時間程度の半分。週当たりでも米国との差は大きい。米国の大学1年生は週11時間以上を学習時間にあてているのが6割程度。逆に日本では6割程度が週1〜5時間となっている。なぜ、日本は設置基準の想定の半分になるのか。

2012年5月31日木曜日

先生を喜ばせる不思議な方法|全然弾けないっす!


こんにちわ

ピアノ、やってます。

先生は凄く喜びます。

みんなの前で演奏することを・・・

そしてその演奏を楽しんでくれることを・・・

そして弾いた後に一番楽しかったと思えることを・・・・

それが自然に思えることを・・・

先生は面白くてとっても嘘つきです。

2012年5月19日土曜日

保育・教育 | 障がい児支援 | 相談したい


 にこにこルームでは、ことばや発達に不安をかかえている親子に通所してもらい、遊びや生活指導を通して、生活習慣の自立や社会性の発達等を促し、情緒の安定を図るよう支援を行ないます。 また通所する親同士の交流を深め、共に育ちあう場所づくりに努めています。
   なお定員は20人となっています。

対象者

ことばや発達に不安のある、おおむね1歳6ヶ月から就学前までの子どもとその保護者

受付窓口

子育て支援課

費用

おやつ代等実費負担あり

提出書類

にこにこルーム通所申請書

2012年5月16日水曜日

ソローの「森の生活」


ソローの「森の生活」


 八ヶ岳で山の暮らしをするようになったきっかけは、ソローの「森の生活」を読み、このような生活を実践したいと望んだことによる。 若いころから、いずれは自然の中に身を置く生活をしたいものだとは思っていた。
 だが私の仕事はまったくそれと逆なものだったから、いずれは、いずれは で時間が過ぎていった。人生の大半を塵網の中に置き、ようやく、今、山懐の森の中に還ってきたことになる。

(写真は左右とも ウォールデン池の秋色)


「森の生活」との出会い

ソローの名前を知ったのは北大で学生生活を送っていた20歳の時だった。
私はハーバード大学からの感謝状を持っている。大学があるボストン近郊のマサチューセッツ州ケンブリッジでこれを見せればハーバードに推薦入学でもできるのかと聞いたら、それはない、と言われたので今でも押入れに入ったままだ が、この感謝状がソローを知るきっかけだった。

当時、ハーバード大学のグリークラブが日本に公演旅行にやってきた。札幌で受け入れ先を探しているがどこかないかということだった。こちらも 下宿生活の身で自由になる部屋などなかったが、2階の一室を整理すれば2,3泊程度は使えそうだったので、下宿の奥さんに相談したら、いいわよということで引き受け ることになった。下宿には高校と中学の娘2人がいたが彼らの滞在中2階を明け渡し別な部屋に移った。

すこしわき道に入るが、この項を書いている2008年7月の福田内閣の官房長官は町村信孝氏である。この下宿を世話していただいたのが氏の母堂だった。 当時、下宿を変わる必要に迫られていて道庁の近くの知事公舎を通りかかった。大きな家なのでここなら置いてくれるかと、飛び込んだ。町村金五北海道 知事は不在だったが、夫人が物知らずの学生の応対に出てこられ「お役所のものなので、ここではお世話できないんですよ」と丁寧に断られ、代わりに札幌 市の総務部長に紹介状を書いてくれた。後に市長になった板垣武四氏だった。彼がまた「ここに行きなさい」と言ったところが当時札幌のはずれ北32条の 知り合いだった。ご主人は歌志内の炭鉱の幹部で週末に札幌の自宅に戻る生活をしていた。

板垣市長は札幌雪まつりをつくり、地下鉄を開通させ、札幌オリンピックを開催、政令指定都市になりと時代を20年先取りしたと言われる名市長である。札幌五輪の時に 取材の合間に元下宿のご主人を訪ねたら、炭坑はすでに斜陽で、北炭での知識を生かして板垣市長の下で地下鉄工事の指揮をしていた。下宿の北隣は牧場で2階の庇(ひさし)から 下を通る馬に飛び乗ることができた。私が馬術部員と知って紹介してくれたのではなく、偶然だが、うってつけの環境に狂喜したものだ。

いま、東京・日比谷のプレスセンターにある日本記者クラブで町村信孝氏の会見があると、進んで出席する。クラブメンバーながら山にいることが多いので普段は大抵の会合に欠席しているのだが、 氏の記者会見だけは別だ。町村派を率い、外務大臣、官房長官と次第に貫禄が出てきた。あのとき応対していただい たご母堂のことを思い出しながら聞いている。

当時の話に戻ると、やってきたのはアルトを担当する二人のユダヤ人学生だった。ともに著名なハーバード大学のロースクールで学ぶ弁護士志望。風采はあがらないがまじめな男だった。一人は足が悪くどういうわけか東京 で見かけた日本の学生服が気に入ってわざわざ買い込んで四六時中着用していた。行きかう人が日本の学生服を着た変なガイジンと乗馬ズボン(馬場での練習姿のまま落ち合うことが多かっ た)の日本人学生という妙な取り合わせに皆振り返った。

北海道には熱いごはんにバターをたっぷり乗せて食べるということをする人が多い。下宿の娘に教わりながらやってみて大いに気にいったようで、関西出身の私のほうが 二の足を踏むほどだった。北大の構内や付属植物園、馬術部など金のかからないところを主に案内して、たまにジンギスカンやビアホール、途中で教育大学の学生が英会話の勉強に合流するという 毎日だったが、下手な英語でも結構互いに意思疎通はできていた。

そのときハーバードの学生ならみんな知っているというソローとその著書「森の生活」(原題は「WALDEN or LIFE IN THE WOOD」 )のことを聞いた。ソローは「S」でなく「T」だよとメモ用紙に書いてもくれた。彼が 暮らした湖(本では「池」と呼んでいる)はハーバードからそう遠くないところで、二人とも行ったことがあるという。

ハーバード大学と北大は関係が深い。「森の生活」の原題は「WALDEN」というのだが、このウォールデン池はボス トン郊外のコンコードにある。コンコードからさらに西100キロほどのアマースト(Amherst)は「Boys be Ambitious」(少年よ 大志を抱け)の言葉を残したクラーク 博士(William S. Clark 1826-1886)の故郷だ。マサチューセッツ州立アマースト農業大学の学長のまま来日、北大の前身、札幌農学校教頭として "Be gentleman"だけを校則に して、わずか8か月の滞在ながら内村鑑三、新渡戸稲造、宮部金吾などの人材を育て今なお教育の奇跡と言われている。

上で町村父子のことに触れたが、二人の父であり祖父である町村金弥は、札幌農学校で宮部金吾や佐藤昌介等と共に学び、日本における"酪農 の父"と言われている。
またクラーク博士と一緒にやってきた2人の教師は札幌近郊で採集したエンレイソウなど多くの植物標本をアメリカに送り、今もハーバード大学に 残されている。気候も札幌ととても似ているという。もっともそうしたことは後から知ったことなのだが。

彼らが帰ったあと大学の図書館でその本を借り出したが、ラテン語やギリシャ神話、アメリカ史の知識がないと読み進めない。翻訳がいろいろあるようなのでいずれそち らで間に合わそうと、投げ出してそのままになった。

新聞記者生活に入って20年ほどたったころ、学芸部を通りかかったら新刊本で近日書評に取り上げる予定という箱の中にソローの「森の生活」があった。掲載されたあ とでいいからと貰い受けて読み出した。文中の注釈やギリシャ神話の解説もあり読みやすかったせいもあるが、一気に読めた。自分もいつかこういう生活をしたいと思った。

いろんな社会生活の中でも一番がさつなのが新聞記者だと思うが、政治、経済、社会あらゆる事象を追いかけてはいるが、いずれ歴史の中にうずもれて誰も振り返らない ことばかりだ。なにより「浅く広く」物事を見ることばかりに慣れている。事実、新しいことばかり追いかけて勝手に忙しがっていた。ここらで立ち 止まってじっくり考えることが必要ではないか、人間はきっと自然のなかに身を置くのが本来の姿なのではないか、とも考えた。

ちょうどそのころ、八ヶ岳の中腹にログハウスを建てる計画が進んでいた。家庭の経済のことに疎いのを言い訳に、ローンや手続きのことなど面倒なこと 一切合財を家内に押し付けて、今は忙しいがいずれ落ち着いたら暖炉のそばでこの本や植物や野鳥や自然史の書を広げて過ごし たいものだと勝手に夢を描き、「汗牛充棟」と言いたいが牛は涼しくしていて棟木まで余裕がある書庫のほとんどの書物とともに山小舎の屋根裏部屋に放り込んで、また喧騒の生活に戻った。

それからまた20余年が過ぎた。不思議な因縁を感じつつ、ソローの本を読んでみると、山墅(さんしょ)でのいくばくかの生活を通して、帰納法的にも演繹法的にも、 人間本来の姿はひっそりと森の中に身を沈めて、春には木がゴウゴウと水を吸い上げる音を聞き、冬にはヒ ューヒューという木枯し吹雪に耐えて、いつかまた来る春を待ち続けることが「生きる」ということではないか、やがてそのまま山の精に命を吸い取られるまで。それが幸 せというものではないか、と考えるようになった。

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ソローの生涯

ヘンリー・デイヴィッド・ソロー( Henry David Thoreau)

以下にソローの経歴をまとめたが、誰もが不思議な人だと思うことだろう。だいたい何で生計を立てていたのか。経歴から浮かび上がる職歴を履歴書風に書 き上げるなら、「学校教師、家庭教師、測量士、植木職、農夫、ペンキ屋、大工、左官、日雇い人夫、鉛筆製造人、紙やすり製造人・・・」とでもなるのだが、ハ ーバード大学という最高学府を出たわりにはぱっとしない職歴だ。

もっとも、ソローの多彩な職歴から当時のアメリカ社会の様子を読み取ることができる。測量士の仕事で食いっぱぐれがないということは、開拓 時代の名残りで土地争いが絶えなかったのだろう。国中でまだ土地の分捕り合戦を展開していたのだから、境界線を画定するのに測量技師の需要 が高かったのだ。ペンキ屋、大工、左官の仕事にソローが駆り出されていたのは"ゼネコンブーム"だったことがわかる。ペン書きはまだ公式文書 だけで、世間では鉛筆が主要な筆記用具だったこともわかる。

彼は生涯結婚しなかったが、また定職というものを持たなかった。普通なら一生の仕事になるだろう教師も二週間で辞めている。今なら学習 塾とでもいうのだろうが、兄と私塾を開いたこともあるが、兄の病気もあり3年で辞めた。

どれも長続きはせず、すぐ自分の家にこもった。「森の家」を出た後半生は日雇いの測量の仕事で生活費を稼いでいた。今風に言えばフリータ ーとかニートとか引きこもりとかに分類されてもおかしくはない生活だ。

でもただのフーテンではない。最小限の収入を得たら、お金は要らないという考えから転々とし、頼まれれば町の成人学級のようなところで講演 し、残ったほとんどの時間は思索にあてた。この分野こそ彼の真骨頂であり、現在も燦然と輝く肩書「文筆家、詩人、博物学者、自然主義者、 思想家、超絶主義者、奴隷制廃止論者」なのだ。


ソロー年譜

2012年5月15日火曜日

総務省(BSアナログ放送の終了に係るQ&A)


  <デジタルハイビジョン>
  HD(High Definition)TVとも呼ばれ、 画質の精細さを示す走査線の数が、従来のテレビの2倍以上あります。このため、色彩も美しく、細かいところまでくっきりと見えますので、臨場感あふれる鮮明な映像を楽しめます。
  また、画面の横と縦の比率が、現行の地上アナログ放送の4:3の画面に比べ、人間の視野に合う16:9になっていますので、迫力のある画面で迫ってきます。

  <5.1chサラウンド>
  デジタル放送の音声はCD並みの高音質です。特に5.