大学教育の質保証や質向上という言葉が、日本の大学改革を語る場合に簡単に使われているが、ことはそう単純ではない。大学には、学校教育法に基づき大学として必要な最低の基準を定めた文部科学省令の「大学設置基準」が設けられている。このなかで、大学の制度としての枠組みをつくり、教育研究の内容にあたる授業計画やカリキュラムを一定水準に維持するためさまざまな仕掛けが施されているのだが、その内容を再検討する議論が進んでいる。いまの大学教育の姿を変えることにつながるかもしれない。
●日米で大きな差 大学生の学習時間
10月28日に開かれた中央教育審議会・大学教育部会は、設置基準で規定されている単位や授業時間、カリキュラム編成の方向性について議論した。
前提として、日本の学生はどの程度勉強しているのだろうか。金子元久委員(国立大学財務・経営センター教授)が部会に資料として提出した、日本の大学生の学習時間が参考になる。
日本の学生の学習時間は1日当たり4.6時間で、大学設置基準の想定している学習量8時間程度の半分。週当たりでも米国との差は大きい。米国の大学1年生は週11時間以上を学習時間にあてているのが6割程度。逆に日本では6割程度が週1〜5時間となっている。なぜ、日本は設置基準の想定の半分になるのか。
私立学校は誰の利益か
大学設置基準21条は、大学では1単位の授業科目を45時間の学修を必要とする内容をもって構成するのが標準と定めている。それをもとに大学では、1単位は授業時間1時間と関連学習(予習・復習)2時間を、1学期の15週で実施することを想定している。(予習+授業+復習)×15で1単位当たり45時間の学修となる計算だ。
卒業要件の124単位を単純に4年間で割ると1年当たり31単位。前・後期2学期制の大学が多いので、1学期分は16単位程度。16単位をとるには、1週間当たり授業時間と関連学習を合わせて16×3=48時間が必要になる。週6日を学業に費やすとすると1日8時間。先に紹介した学生の学習時間調査はこの半分でしかない。
金子委員の資料によると、日本の大学設置基準は戦後の米国の基準を参考にしたといい、実際に1950年代の米国の学生はこの程度勉強していたとされる。また、欧州の単位互換制度も1週間40時間の学習量を想定しているという。
●大学・学生生活全体に及ぶ問題
実態を基準に合わせるよう質を上げて「学習させる大学」にするにはどうするか。この問題はかなり難しい問題を含む。
アメリカのトップ経営管理大学
大学は多くの科目数を用意して、学生が単位をとろうと思えばできるかぎりとれるような学習メニューをつくる。そのためには専任教員のみでは授業を回しきれず、非常勤講師らにも頼らないといけない。一方の学生は、昔からの慣行ともいえるが大学以外で自発的な学習をしていないのが実態だ。アルバイトで生活費を捻出している学生も少なくない。雑多な授業の位置づけがはっきりしないままメニューばかりが多く、授業と関連づけた学習態勢が大学、学生ともに組めていないところに原因がある。
これを好転させるには、大学の経営(ガバナンス)、教員の人的構成、カリキュラム編成、学生生活とすべてに及ぶ問題を解きほぐさなければならない。奨学金なども充実させないと難しい。部会では委員から「なるべく学生を大学内で関連学習も含めて勉強するよう、つなぎとめておければ」という趣旨の意見もあった。
●授業の体系化「科目ナンバリング」
学習時間も関係するが、雑多な授業のメニューをやみくもに学生がとっても、本当にその学問領域や知識を身につけたといえるか疑問が残る。そのため、今回の大学教育部会で議論されたのが授業科目のナンバリングだ。簡単に言えば、入学してから卒業までの授業を教養や専門の段階や位置づけがわかるよう、たとえば入門レベルの授業は100番台、中級は200番台、専門は300番台というふうに番号などをふり、授業科目全体を体系づけようという試みだ。
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これをすると、学部がいくつもある大規模大学の授業がカテゴリー化されてわかりやすくなり、海外や他大学との単位互換などをしやすくなる。一方で、その作業や体系化には全学的な教職員の協力がなければうまく進まない。大学のガバナンスのもとで学問領域や授業レベルを把握する作業が必要になる。一つの大学ですら道が遠そうなのに、大学全体で行うことは果たして可能だろうか。実現するには、大学が自発的に進んで取り組むための誘導策が必要だろう。
授業科目や専門領域を体系化する、ということは、誰から見てもわかりやすいカリキュラムにすると同時に、授業を普遍化・相対化することになる。部会では今後、どんなナンバリングが考えられるのかを詰めていくことになった。
●「15週か16週か」論争は活発になったが……
この日の部会でもっとも活発に議論されたのが、単位制度の根幹である授業と試験の時間を何週にわたって実施するのか、ということだった。
大学では、おおむね4月の第1週から例外を除き、毎週1回(2コマ)を15週続けることで授業が実施される。2コマだと1学期で2単位になる。東日本大震災のときは、この15週が確保できないとして文部科学省にお伺いをたてた大学もあった。文科省が「弾力的に」というお決まりのような通知を出して落着したが、これも大学設置基準に従うという考え方からだ。
部会では、「授業は設置基準の規定どおり15週だとすると、定期試験を含めると16週になるのか」という質問や意見が相次いだ。試験は15週のなかで可能なのか、試験に代わってリポートの場合でも15週で問題ないのか、という問いかけもあった。大学関係者以外からみると形式主義のような話だが、外部評価の観点の一つになっているので、大学の世界ではそれなりに重要らしい。
授業計画をきちんと立てることがもっとも肝心だが、定期試験は15週とは別枠というかたちで計画のなかできちんと位置づけていれば、15週のなかで試験やそれに変わるリポートをしても設置基準には反していない……ということで話は終わった。あくまでも中身をどうするかのほうが重要だ。
●全入時代に向けた全体像の確立
今回の部会では、大学の教育を学生自身の学習本位に変えていこうという問題意識がうかがえた。全入時代になり、学生をどう伸ばすかというシステムづくりに手をつけ始めたと解釈したい。どんな絵を描くのか注目したいが、財政投入が連動しないと、設置基準といまの学生の学習実態のように、乖離したままで終わってしまう可能性もありそうだ。
授業料を払うためにアルバイトをしている学生は少なくない。学ぶ意欲があるのに学習時間が確保できない環境の学生には、給付型支援は不可欠だ。また大学のガバナンスの側面からは、大学全体の授業の位置づけと数の把握、教員数の構成、学生の学習や生活実態の把握など課題は多い。
全入時代の大学像全体を設計する発想が必要になるだろう。
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