ソローの「森の生活」 八ヶ岳で山の暮らしをするようになったきっかけは、ソローの「森の生活」を読み、このような生活を実践したいと望んだことによる。 若いころから、いずれは自然の中に身を置く生活をしたいものだとは思っていた。 だが私の仕事はまったくそれと逆なものだったから、いずれは、いずれは で時間が過ぎていった。人生の大半を塵網の中に置き、ようやく、今、山懐の森の中に還ってきたことになる。 |
(写真は左右とも ウォールデン池の秋色)
「森の生活」との出会い
ソローの名前を知ったのは北大で学生生活を送っていた20歳の時だった。
私はハーバード大学からの感謝状を持っている。大学があるボストン近郊のマサチューセッツ州ケンブリッジでこれを見せればハーバードに推薦入学でもできるのかと聞いたら、それはない、と言われたので今でも押入れに入ったままだ が、この感謝状がソローを知るきっかけだった。
当時、ハーバード大学のグリークラブが日本に公演旅行にやってきた。札幌で受け入れ先を探しているがどこかないかということだった。こちらも 下宿生活の身で自由になる部屋などなかったが、2階の一室を整理すれば2,3泊程度は使えそうだったので、下宿の奥さんに相談したら、いいわよということで引き受け ることになった。下宿には高校と中学の娘2人がいたが彼らの滞在中2階を明け渡し別な部屋に移った。
すこしわき道に入るが、この項を書いている2008年7月の福田内閣の官房長官は町村信孝氏である。この下宿を世話していただいたのが氏の母堂だった。 当時、下宿を変わる必要に迫られていて道庁の近くの知事公舎を通りかかった。大きな家なのでここなら置いてくれるかと、飛び込んだ。町村金五北海道 知事は不在だったが、夫人が物知らずの学生の応対に出てこられ「お役所のものなので、ここではお世話できないんですよ」と丁寧に断られ、代わりに札幌 市の総務部長に紹介状を書いてくれた。後に市長になった板垣武四氏だった。彼がまた「ここに行きなさい」と言ったところが当時札幌のはずれ北32条の 知り合いだった。ご主人は歌志内の炭鉱の幹部で週末に札幌の自宅に戻る生活をしていた。
板垣市長は札幌雪まつりをつくり、地下鉄を開通させ、札幌オリンピックを開催、政令指定都市になりと時代を20年先取りしたと言われる名市長である。札幌五輪の時に 取材の合間に元下宿のご主人を訪ねたら、炭坑はすでに斜陽で、北炭での知識を生かして板垣市長の下で地下鉄工事の指揮をしていた。下宿の北隣は牧場で2階の庇(ひさし)から 下を通る馬に飛び乗ることができた。私が馬術部員と知って紹介してくれたのではなく、偶然だが、うってつけの環境に狂喜したものだ。
いま、東京・日比谷のプレスセンターにある日本記者クラブで町村信孝氏の会見があると、進んで出席する。クラブメンバーながら山にいることが多いので普段は大抵の会合に欠席しているのだが、 氏の記者会見だけは別だ。町村派を率い、外務大臣、官房長官と次第に貫禄が出てきた。あのとき応対していただい たご母堂のことを思い出しながら聞いている。
当時の話に戻ると、やってきたのはアルトを担当する二人のユダヤ人学生だった。ともに著名なハーバード大学のロースクールで学ぶ弁護士志望。風采はあがらないがまじめな男だった。一人は足が悪くどういうわけか東京 で見かけた日本の学生服が気に入ってわざわざ買い込んで四六時中着用していた。行きかう人が日本の学生服を着た変なガイジンと乗馬ズボン(馬場での練習姿のまま落ち合うことが多かっ た)の日本人学生という妙な取り合わせに皆振り返った。 北海道には熱いごはんにバターをたっぷり乗せて食べるということをする人が多い。下宿の娘に教わりながらやってみて大いに気にいったようで、関西出身の私のほうが 二の足を踏むほどだった。北大の構内や付属植物園、馬術部など金のかからないところを主に案内して、たまにジンギスカンやビアホール、途中で教育大学の学生が英会話の勉強に合流するという 毎日だったが、下手な英語でも結構互いに意思疎通はできていた。
そのときハーバードの学生ならみんな知っているというソローとその著書「森の生活」(原題は「WALDEN or LIFE IN THE WOOD」 )のことを聞いた。ソローは「S」でなく「T」だよとメモ用紙に書いてもくれた。彼が 暮らした湖(本では「池」と呼んでいる)はハーバードからそう遠くないところで、二人とも行ったことがあるという。
ハーバード大学と北大は関係が深い。「森の生活」の原題は「WALDEN」というのだが、このウォールデン池はボス トン郊外のコンコードにある。コンコードからさらに西100キロほどのアマースト(Amherst)は「Boys be Ambitious」(少年よ 大志を抱け)の言葉を残したクラーク 博士(William S. Clark 1826-1886)の故郷だ。マサチューセッツ州立アマースト農業大学の学長のまま来日、北大の前身、札幌農学校教頭として "Be gentleman"だけを校則に して、わずか8か月の滞在ながら内村鑑三、新渡戸稲造、宮部金吾などの人材を育て今なお教育の奇跡と言われている。 上で町村父子のことに触れたが、二人の父であり祖父である町村金弥は、札幌農学校で宮部金吾や佐藤昌介等と共に学び、日本における"酪農 の父"と言われている。
またクラーク博士と一緒にやってきた2人の教師は札幌近郊で採集したエンレイソウなど多くの植物標本をアメリカに送り、今もハーバード大学に 残されている。気候も札幌ととても似ているという。もっともそうしたことは後から知ったことなのだが。
彼らが帰ったあと大学の図書館でその本を借り出したが、ラテン語やギリシャ神話、アメリカ史の知識がないと読み進めない。翻訳がいろいろあるようなのでいずれそち らで間に合わそうと、投げ出してそのままになった。 新聞記者生活に入って20年ほどたったころ、学芸部を通りかかったら新刊本で近日書評に取り上げる予定という箱の中にソローの「森の生活」があった。掲載されたあ とでいいからと貰い受けて読み出した。文中の注釈やギリシャ神話の解説もあり読みやすかったせいもあるが、一気に読めた。自分もいつかこういう生活をしたいと思った。
いろんな社会生活の中でも一番がさつなのが新聞記者だと思うが、政治、経済、社会あらゆる事象を追いかけてはいるが、いずれ歴史の中にうずもれて誰も振り返らない ことばかりだ。なにより「浅く広く」物事を見ることばかりに慣れている。事実、新しいことばかり追いかけて勝手に忙しがっていた。ここらで立ち 止まってじっくり考えることが必要ではないか、人間はきっと自然のなかに身を置くのが本来の姿なのではないか、とも考えた。
ちょうどそのころ、八ヶ岳の中腹にログハウスを建てる計画が進んでいた。家庭の経済のことに疎いのを言い訳に、ローンや手続きのことなど面倒なこと 一切合財を家内に押し付けて、今は忙しいがいずれ落ち着いたら暖炉のそばでこの本や植物や野鳥や自然史の書を広げて過ごし たいものだと勝手に夢を描き、「汗牛充棟」と言いたいが牛は涼しくしていて棟木まで余裕がある書庫のほとんどの書物とともに山小舎の屋根裏部屋に放り込んで、また喧騒の生活に戻った。
それからまた20余年が過ぎた。不思議な因縁を感じつつ、ソローの本を読んでみると、山墅(さんしょ)でのいくばくかの生活を通して、帰納法的にも演繹法的にも、 人間本来の姿はひっそりと森の中に身を沈めて、春には木がゴウゴウと水を吸い上げる音を聞き、冬にはヒ ューヒューという木枯し吹雪に耐えて、いつかまた来る春を待ち続けることが「生きる」ということではないか、やがてそのまま山の精に命を吸い取られるまで。それが幸 せというものではないか、と考えるようになった。
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ソローの生涯
ヘンリー・デイヴィッド・ソロー( Henry David Thoreau)
以下にソローの経歴をまとめたが、誰もが不思議な人だと思うことだろう。だいたい何で生計を立てていたのか。経歴から浮かび上がる職歴を履歴書風に書 き上げるなら、「学校教師、家庭教師、測量士、植木職、農夫、ペンキ屋、大工、左官、日雇い人夫、鉛筆製造人、紙やすり製造人・・・」とでもなるのだが、ハ ーバード大学という最高学府を出たわりにはぱっとしない職歴だ。 もっとも、ソローの多彩な職歴から当時のアメリカ社会の様子を読み取ることができる。測量士の仕事で食いっぱぐれがないということは、開拓 時代の名残りで土地争いが絶えなかったのだろう。国中でまだ土地の分捕り合戦を展開していたのだから、境界線を画定するのに測量技師の需要 が高かったのだ。ペンキ屋、大工、左官の仕事にソローが駆り出されていたのは"ゼネコンブーム"だったことがわかる。ペン書きはまだ公式文書 だけで、世間では鉛筆が主要な筆記用具だったこともわかる。
彼は生涯結婚しなかったが、また定職というものを持たなかった。普通なら一生の仕事になるだろう教師も二週間で辞めている。今なら学習 塾とでもいうのだろうが、兄と私塾を開いたこともあるが、兄の病気もあり3年で辞めた。
どれも長続きはせず、すぐ自分の家にこもった。「森の家」を出た後半生は日雇いの測量の仕事で生活費を稼いでいた。今風に言えばフリータ ーとかニートとか引きこもりとかに分類されてもおかしくはない生活だ。
でもただのフーテンではない。最小限の収入を得たら、お金は要らないという考えから転々とし、頼まれれば町の成人学級のようなところで講演 し、残ったほとんどの時間は思索にあてた。この分野こそ彼の真骨頂であり、現在も燦然と輝く肩書「文筆家、詩人、博物学者、自然主義者、 思想家、超絶主義者、奴隷制廃止論者」なのだ。
ソロー年譜
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