序章
発表者としての資格
あなたは人前に立つことに多少とも不安を感じるでしょうか?「緊張で失敗するのではないか」とか、「言いたいことをうまく説明できないのではないか」と心配になることがありますか?答えが「イエス」なら、あなたはプレゼン上手になる資格があります。そういうヒトには「他人に良く見られたい」とか「内容を理解して欲しい」という欲求があるからです。この欲求が欠如している者にプレゼンの上達は期待できません。不安はあって当然だし、心配はあった方がむしろ良いのです。自信のある人間には向上心が生まれません。心配だからこそ、それを解消するための準備と工夫と訓練をする動機が生じます。ただ、準備と工夫と訓練に多少の努力がつきものです。努力の原動力には負けず嫌いであった方� �いい。『自信はないけど負けず嫌いなヤツ』がプレゼンに適しているのです。
なぜ理論なのか
私自身は、他人に理解してもらいたい欲求が強いくせに、自分の喋りに不安を抱く人種です。緊張しがちで、自分の考えをうまく表現できないことが悩みです。こういう人間から見ると、緊張などまったく無縁で、生まれつき喋りが上手なヒトたちが実に羨ましい。どうして自分はそんなタイプに生まれなかったのかと悶絶しそうです。しかし、現実にそうでない人間として生まれてきた以上は、(そして、それでも負けたくない性格である以上は)、凡人であっても上手いプレゼンができるような「理論」を構築するしかありません。
今の私がなんとか人前でプレゼンできているとすれば、それは自分の不得手を自覚した上で、これを解消しようと構築した「プレゼンの理論」のたまものです。おそらく天才には、そんな理論は必要ないのでしょう。彼らは天性で結果を出します。これに対して、理論は万民に平等です。しっかりプロセスをたどれば誰でも同じ結論に達するのが理論です。科学の素晴らしい所は、正にそこだと思うのです。この小論を「プレゼンの理論」と名付けたのも、万民に公平でありたいという願いからです。適正なプロセスさえ踏めば凡人も喋りの天才と同等の境地に達することができる。そんな夢を追いながら、しゃべりの凡人としての私はプレゼンの理論を構築してきました。
大げさに言うと、私は自分のプレゼンの工夫と改良を通して、自分の生きる道を見つけたと考えています。才能がないが故に、(しかし負けず嫌いであるが故に)、不得手な部分をよく考え、工夫の限りを尽くすことで、かえって高みに昇れるという生き方です。そのためのキーワードが「準備」と「工夫」と「訓練」です。小心者の私は、仕事をするにあたって周囲の才能ある人々に圧倒されそうになった時、いつも「準備・工夫・訓練」とお題目のように唱えて、歯を食いしばります。才能の欠如を自覚し、その分、愚直に「準備」・「工夫」・「訓練」を行う者は、半端な秀才よりはむしろ世の中に確実な爪痕を残し、オリジナルな人生を送れると信じます。
あぁ、力が入りすぎて、前置きが長くなってしまいました。次節からいよいよ、プレゼンの理論を、得意の「準備編」「工夫編」「訓練編」に分けて解説することにしましょう。
第1章【準備編】
ミッション名を考える
第1章の準備編は、心構え編と考えてもらっても良いでしょう。まず、プレゼンで成功するための戦いは、本番そのものよりずっと前から始まっていることを自覚してください。プレゼン機会が決定した瞬間から始まる一連の「ミッション」と考えるのです。この時、自分を奮い立たせる「ミッション名」を設定してみることをお勧めします。普段からモヤモヤと考えていた願望を、プレゼンという機会をいいことに、どさくさに紛れて実現してしまおうと考えるのです。それをあえて言葉にしてみるのです。それが、どんなに崇高な願いでも、どんなにバカバカしい妄想でも、自分の心が振るえるのならばそれで良いのです。例えば、「この研究テーマを引き継ぎたいと考える後輩を作りたい」というのもありでしょう� ��そんなカッコウを付けなくても「自分をバカにしていた連中をこの15分で見返す」と言った恨みのミッションでも良いと思います。どちらにしても、ただ「無事に終わりたい」と思うより、数倍の勇気が湧くはずです。
私の研究室の卒業生が卒論発表会に向けて設定したミッション名をいくつか紹介すると、「誰よりも格好いい発表をする」、「これを機会に内弁慶を打破する」、「イケメンの○○君が鼻血を出すほど、感動的な発表を」、「不可をくらった○○先生を圧倒してやる」などがありました。ちなみに、私自身の修論発表時のミッションは、気になっていた後輩の女の子に『「このヒト凄い!」と惚れさせるプレゼン』を目指しました。成功したかって?聞くだけ野暮です。そのための理論だもの(ナンチャッテ)。とにかく、自分の魂が一番燃えるミッション名を考えてみてください。そうすることで、成功のためにあらゆる工夫しようとするモチベーションも自然と維持されます。
メインターゲット
私が尊敬するプレゼンの達人は(例えば、現石川県立大の菊沢喜八郎先生や森林総合研究所の岡輝樹さん、山形県森林研究研修センターの斎藤正一さんです)講演を依頼されると、最初に聴衆の属性(職種・年齢・男女比など)を尋ねます。聴衆がどんな集団かによって同じ内容でも表現が異なるからです。相手が専門家の場合と素人の場合では、説明の仕方や用語の選択が自ずと異なります。もちろん、素人に話す方が難しい。それだけ気を遣わねばならない事柄が多くなるからです。
自分たちが日常の研究で使う言葉が専門用語であることを忘れてしまい、ついつい口にしていまって、相手に全く通じていない不幸がよく起こります。以前、鶴岡市民向けに森林散策の案内とした時のことです。説明をしてくれた学生さんが「この樹の葉っぱは羽状複葉なのが特徴です」と説明しました。私たちには羽状複葉は日常用語ですから、不思議に思わずに聞き流していました。ところが、ある参加者に「ウジョウフクヨウって?」と尋ねられてハッとしたのです。漢字が示されていたならともかく、音でしか聴いていないと全く理解できない言葉でしょう。この方は素直に疑問を口にしてくれたので、訂正の機会もあったわけですが、発表会のような硬い場では質問もしてくれずに「なんだか小難しくて、 面白くない」と思われてジエンドです。他人に説明する時に、如何に注意を要するかを実感させられた事件でした。
このように、プレゼンには相手の属性にあったケアが求められるのです。ところが、しっかり理解してもらおうと、最初から最後まで、細かく、正確な事実で説明の限りを尽くせば良いのかといえば、そうでもありません。この後も、何度も説明すると思いますが、「正確な説明」と「分かりやすい説明」は必ずしも同一ではないのです。「わしづかみに分かった気にさせる説明」を目指して下さい。簡単にまとめすぎて、専門家としての良心がとがめる場合もあるでしょう。それでも、思い切って目をつぶる勇気が必要な時があります(例外や誤解の元は後で正すつもりでいるのが正解です)。わかりやすさを追求するために、どこまで正確さを犠牲するべきか、その塩梅(あんばい)、すなわ� ��情報選択がプレゼンの準備の段階において大変大事な作業になると言えます。
また、メインターゲットの見極めで事態をさらに難しくするのは、聴衆の中に様々なタイプの属性がいて、理解度において多様な人々を相手にする場合です。子供と専門家が一緒に聴いている講演会は、前者にあわせると後者が飽きるし、後者にあわせると前者が理解できません。こんな時には、覚悟を決めてターゲットを選択するしかありません。この場合には、開き直って選択したターゲットを強く意識した準備をすべきです。一般講演でも、施策提言を含んでいる場合には行政関係者を意識した話し方が良いかもしれないし、どちらかと言えば女性に対するメッセージ性が強い内容ならば、説明に使う比喩なども女性に身近なものを取り上げるべきです。
とにかく、発表の機会の度に、改めてターゲットを見極めた発表をその都度心がけて下さい。前回成功した同じ内容でも、ターゲットが異なれば、説明の仕方が変わるのです。最も分かりやすい例は、就職を意識した面接かもしれません。おそらく、大学でどんな研究にとりくんだのか聴かれる確率は高いでしょう。この場合に、いくら専門家や仲間どうしで盛り上がある発見でも、人事権を握る面接官が身を乗り出すような話題でなければ意味がありません。ファンドを得るための時も、採択決定者の得意分野や趣味を意識したプレゼンをした方が有利になるはずです。結局、プレゼンの準備においては、聴衆をお客さまと捉えて、企業が事前にお客のマーケッティングを行うのと全く同じ心構えが必要なのです。
目指すは脳みそバリアフリー状態
良い発表のバロメーターは、聞き手が考えなくても理解できるか否かです。映し出された図表を見せられて聞き手が悩むような説明は良い発表ではありません。私は、当初、この点を誤解していました。
学生時代に初めて参加した学会で、ほとんどの発表が内容を理解できずに戸惑いました。自分のアホさかげんに自信を喪失したのです。ところが、先述の菊沢喜八郎さん(当時、北海道立林業試験場)や清和研二さん(現 東北大学、当時、やはり北海道立林業試験場)の発表だけは私にもよく理解でき、しかも、その内容にワクワクしたのです。「このヒトたちの研究は、俺にもわかるくらい程度が低いのか?」と疑いましたが、周囲の反応から察するに、どうやらほかのヒトたちも面白いと感じているらしい・・・。ここで、疑問氷解。優れた研究は、アホにも分かるのだ!してみると、理解できない発表とは、聞き手の自分が悪いのではなく、むしろ発表者が悪いのではないか。
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